自意識過剰(?)の話

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みなさんこんにちは!ボラです🍡

今日は「自意識過剰」というものについて考えてみました。
というのも、人間のモチベーションについて考える機会で、
私の「~せねばならぬ」みたいな自分を律する心(=自分の中でのモチベーション)は、
外部的要因なのか内発的要因なのかどっちなんだろう?って思ったんですよね。

自分を律して、例えば善い人間でありたい、学びたいというような意欲をもって真面目に生きてますが、
(律さなければ崩壊するものでもないけど)これは「人間とはこうあるべきだ」という私の中の「人間のあるべき理想」があって、
そうなりたくてやってる部分が多いんですよ。

これが、そういう理想を見てきた故に心の底から「そうしたい」と思ってやってるのか
「そうあるべきだから」行動しているのかは、同じなようで、「あるべき側」はもしかして外的要因なのかも、と思ったり。

今外的要因かも?と思ったと言っておいてあれなんですが、私はたぶん自意識に欠けていて、
もちろん恥じらいはあるときもありますが、例えば「出川イングリッシュだけどめちゃくちゃ海外の方と話したがる」とか、
「(TPOは守りますが)好きな服を着られる」「他人でも全然声がかけられる」とかです。

「自分の英語は間違ってるかもしれないし…」とか、「見られて変だと思われるかも…」みたいな恥じらいは本当になくて、「話したい!→話す!」になるんですよね。
勉強が大好きで誰もいないオフィスで勉強してるのも、楽しくてやってますが「少し変わってるよね」と言われても「だから何だ?」と思います。

自意識側も統一感は持っていない、という話なのか、自意識がなのか判断はつきません。

私のバイブルでもある「原因と結果の法則(ジェームズ・アレン氏 著)」では、自分の心の中が、自分の外見(そとみ)や環境を形成していく、と語られています。
今の自分は、すべて自分の選択の結果であるということです。

(ちなみに、私は持ち歩きをしやすいので(あと安い)リンク先のものを基本常に持ちあるいてます。)

そう考えると、もちろん心の中で感じていることが自分自身を形どっていくので、内面は非常に重要ですが、
「内面」として選択する理由というのは、プロセスではあるものの結果(選択)ではないので、心の中で考えているはずだけど外部的な要素が強いのかも…みたいな私の劣等感は、「まぁいいか」という案件かもしれません。ちがう?

思っていることを整理せず連ねると、こういった文章になります。
文章を書くことを生業にしてる人の文章って何て思いやりがあるんだ。

私の文章は何てとっちらかっているんだ…

こうやっていろいろ考えているのも、「私自身の選択」なのか…?と鶏が先か卵が先か?のようなお話が続きそうなので、今日は最後に最近見て面白かった映画を紹介して終わります。

【映画部門】

ブゴニア 
ヨルゴス・ランティモス監督、ウィル・トレイシー(英語版)脚本による2025年のブラック・コメディ・スリラー映画

「人は自分が信じたいものしか信じない」ということを再認識し、皮肉の聞いた演出にくすっとする部分が多く、
一人でホットドッグを食べながら楽しく観ました。
情報が多いからこそ取捨選択をする時代ですが、この取捨選択の基準が大きく偏りがあるよね。と自戒を込めて。

さて、きょうもつらつらと述べるだけのブログで恐縮ですが、明日からの連休でしっかり休んで月曜からまた頑張りましょうね。
わたしは日曜に父の出張先である熱海まで足を延ばして父娘昼飲みを開催予定です。
皆さんも楽しい週末を!

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