「考える」を考えてみた

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皆さんこんにちは。ボラです🍡

年内最後であろう自分のブログ更新も、意味の分からないタイトルで始まっています。
相も変わらず、ふと考えたことをつらつらと書くことにします。

フランスの哲学者パスカルさんの言葉で「人間は考える葦である」という言葉がありますが、この「葦」というのは
水辺に生えるイネ科の多年草、かなり細くてよわい植物だそうです。

ちなみに私はイネ科のアレルギーなので、憎しみすら抱いています。

自然という大きな力を持つものには抗うことのできない人間だが、植物には不可能とされている「考える」という力を持っている。
こんな感じの意味ですよね。(あいまいですが)

…哲学をされていたパスカルさんはそりゃあまあ考え抜いて考え続けたんでしょうな。
ただ、自分は毎日「考える」って出来ているんだろうか?とふと思いました。

AIの出現で「効率的」ということ良いことにAIさんに相談しまくってますし…本を読んでインプットして…これは読んでるだけ…?
仕事の中で…こなすだけになっていないだろうか…

そんなこんな考えると、考える葦であり続けることは、自然や動物、AIに取って代わることのできない能力なんじゃないかと思います。
AIさんも思考してもらってるんだと思いますけど…AIさんは

「さっき読んだこの本、めちゃくちゃ確かに!って思ったけど、こっち読むと否定されてる…でも私はこう思うけど…ていうか極論過ぎないか…?いや、出版物として売るための多少の脚色…?あかん人間信じれんくなってきたわ…」

みたいなこと、ぐるぐる考えたりしないと思いますし。

特に、他者の経験をインプットして自分のものにしていくとき、ただのインプットではなくて腹落ちしてようやく自分の中に入ってくる感覚もありますよね。
一度考えるという工程を踏まなければ、自分の知識になっていかないのかな?なんて思ったり。
外的要因と内的要因、の話のように自分からあふれてきたものは獲得しようと脳みそが頑張ってくれますが、勝手に入ってきたものはあんまり長居させてくれないようです。

知識ありきではなく感じたままにつづりすぎて収拾がつかなくなりそうなので締めますが、
来年は自分の中に落とし込んで、おもしろい人間になりたいですね。
いつも真面目~~~すぎる感じだったので今日は少しラフに。
土日は雨みたいなので、年末を楽しく過ごすために体をあっためて過ごしてくださいね。それではよいお年を。

 

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