みなさんこんにちは、ボラです🍡
今日も今日とて、タイトルからポップさを微塵も感じないテーマになりそうだったので、
「とかとか…」で堅い雰囲気の緩和を狙いました。
結構まじめにやってみたんですが、どうでしょうか。笑
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突然ですが、「議論」すること、会社や家庭でどれくらいの頻度で発生しますか?
実は意外と少ないんじゃないかな、と思っています。個人的に。
日本人の気質なのか?個々の性格なのかは不明ですが、日本においては少し避けられているような印象があります。
海外の方と少し関わる機会が増えた時、「なぜそう考えたのか」「どのような経験を経てこの考えがあるのか」というプロセスの説明や、私自身の意見を求めてくれることが多いように感じましたが、もしかすると教育課程や成長の過程による違いなんでしょうか?
わたしは議論、と考える、ことは似ていると思います。
そして討論、と答える、ことも同様に似ている。この2種類の違いは「対象が答えがあることか、ないことか」です。
今私が勉強している試験の勉強は、基本的に答えるために覚えたりが多いです。(覚えるために考えるを挟むことはありますが)
ただ、仕事に関しての販促企画の決定や、自分自身の仕事への向き合い方、家族での暮らし方など
正解がなく、それぞれの意見を尊重してよりよい方向性を決めるための話し合いは、考えたことを議論する、だと思います。
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…なんとなく伝わりますか?
わたしが頭の中でぐるぐる考えたことを文字に起こしてみただけなので、
正しいも何もなく、ただの感想、心情なんですけどね。
この「議論をする」が避けられる理由として、「その人の意見」と「その人自身」を切り離して考えることが難しいと感じているのではないかな、と思っています。
小学生のとき、反対意見を言うと仲間外れにされる、みたいなのがまだ残っている、と(いじわるする子をディスっています)
あくまでAという事象に対してのその人の意見なので、=その人とは合わない!
と感じるのではなくて、Aという事象についての考え方が異なるんだな、と考えると、議論することって避けるべきことではないと思うんですよね。
他の理由で議論が嫌いな方の意見も聞いてみたいです。
面倒、とか言語化するのが得意ではないとかでしょうか。
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わたしが議論が好きなのは、様々な方向からの意見や考え方を知ることができるからなんです。
これは、考え方をぶつけて勝ち負けを決めようぜ!というベイブレードとか、ポケモンバトルの様な討論ではなく、ミックスさせて新たな価値観が発生したらおもろいよね、みたいなイメージです。
自分が生きていて感じられる感情や、知ることができる知識、学ぶことのできる経験には限りがありますし、まだまだ若く少ないけれど、他の方の経験や知識、考えを知ることができれば幅はさらに広がりますよね。
本を読むのが好きな理由の一つと同じですが、大げさにいうわけではなく人生がより豊かになることだと思います。
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だから、議論は攻撃的なものではないんですよ、と議論が好きな自分を正当化しています。笑
反対意見はその人を指定しているわけではないんだ、というのは自分にも浸透させたいですし、みんなでそう感じることで、議論してよりよい方法を見出したり、目的はないけれ度意見を交換させあう時間が増えるといいなぁと思ったので、今日のテーマにしてみました。
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自分がふわっと感じていることを文章化するというのは、考えを整理出来たり、日本語の適切な使い方の見直しにもなっていいですね。
みなさんもぜひ「議論」しましょうね!(どんな終わり方だ?)
それでは、また来週👋
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